経歴
- 2009年
- 株式会社フォーカルワークス設立
- 2000年
- プライムワークス国際特許事務所(旧森下国際特許事務所)を開設。
- 1997~2000年
- シンクタンク企業にて、数学をベースとする新たな情報科学の国際産官学研究開発を企画、推進。多数の国家支援プロジェクトを遂行。高度な理論から特許網の構築に取り組む。JETRO主催国際協力調査団に技術責任者として参加し、各国の最先端研究機関を訪問(1997年)。
- 1994~1997年
- 国内大手特許事務所勤務。国内外実務、翻訳室責任者、外国大手事務所とのジョイントセミナーなどを担当。欧州特許実務研修参加(1995年)。
- 1986~1994年
- 大手電機メーカーで、コンピュータのハードウエア/アーキテクチャ設計と商品化開発。当時世界初の32ビットA4ノートPCを含む多数のPCを開発、商品化。多数のLSI、プリント基板設計のほか、実装技術、工程・コスト・品質管理を経験。事業部の最優秀発明者賞を2回受賞。
- 1986年
- 早稲田大学政経学部を中退後、京都大学物理学科卒業(素粒子論)。
著作
メディア
メンバー
資格
実務分野
自己紹介
弁理士になる前
大手電器メーカーでパソコンの開発をしました。1980年代後半から90年代前半です。当時、まだノートパソコンという分野はほぼなくて、ラップトップパソコンでした。12キロもありましたよ。「ラップトップ」とは「ひざに置く」という意味ですが、12キロ(赤ちゃん4人)をひざに置き、しかも発熱で70度になります。
「拷問か……」
人類愛というんでしょうか。私のチームでA4サイズの1.5キロにしました。苦しい開発でしたが、人類愛というんでしょうか。やり遂げた感はあります。
弁理士になった理由
最初、早稲田の政経に入り、理論経済をしようとしたら、「空理空論だからやめろ」という教授がいて、それを真に受けて京大の物理へ入り直しました。もともと、文化系でも理科系でもない中間で、「そういう学部はないのか」と思っていた部分はあります。それがベース。
でも、出身は理科系です。なんとなくメーカーへ行きました。
大企業の将来に不安を覚え始めた時代です。資格ブームが起き、「自分も手に職をつけよう」と思いました。「弁理士」という得体のしれない仕事を知り、これが我が道と思いました。理解系なのに文章で食う文化系的な仕事です。まあ、自由業ですしね。
裏の理由は……、
会社はフレックスだったのに、業績が悪すぎてフレックスが中止になり、夜型の私は生きていけず、しかたなく自由業を探した、というところです……。
好きなこと
沖縄が好きで、同じく、沖縄が好きすぎる母親を移住させたくて、数年前にマンションを買いました。都会よりはるかに安くて得なんですよ。
まだ親は移住していないため、時間があるときは沖縄にいっています。ハイシーズン以外なら、新幹線で大阪に行く程度の旅費です。
その他、60年代のファッション、スタンリーキーブリックの映画、オーセンティックなバー、カラオケスナック、古典文学、速い車など。
将来はアフリカンアーティストになります。


